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永平寺禅を学ぶ会 シンポジウムに参加して

平成23年度「永平寺禅を学ぶ会」特別講座 シンポジウム
「いのちを慈しむ 〜原発を選ばないという生き方〜」
基調講演 長谷川健一氏(福島県飯館村酪農家)中島哲演氏(小浜市明通寺住職)



原子力発電所に「もんじゅ」「ふげん」という名前がついていること。
それに対する謝罪の意味をこめたシンポジウムと聞いて迷わず福井に来ました。

原発という物に対する認識の甘さ。
宗教者がその事に対して、どう謝罪をするのかということに興味がありました。
それはここまで教育を駄目にしてしまった教師としての私の問題でもあるからです。
だからどうしても生で聴きたかった。

けれど残念ながらその期待は打ち砕かれました。
実行委員長とされる禅師は冒頭挨拶の最後に付け加えるように言いました。

「もんじゅ」「ふげん」という名前は動燃が決めた。
そしてそのあと命名したことについて、永平寺の禅師に報告があった。
「人間の知恵に、文殊、普賢の知恵と慈悲をという願い」だった。
それだけだという説明でした。

命名までのいきさつも、命名してしまったことへの思いもなにも語られず。
文殊菩薩と普賢菩薩という仏の名前を原発の名前に冠してしまったこと、
命名したのがたとえ永平寺の禅師でなくとも、それを容認したことへの思いがあるはず。
正直とても残念です。

永平寺という名前の大きさを我々はわかっていなかった、
という司会の方の言葉から想像するに、反響は予想以上だったのでしょう。
写真撮影禁止、会場の質問も無し、という警戒態勢を思わせる進行で会は終わりました。

一方、招かれた真言宗の僧侶、中島哲演氏の講演には行動して来た人の重みを感じました。40年前広島でヒバクシャの話を聴いてから、小浜市に原発を作らせない運動をずっとやってきたが、今また福島でこのようなことになり無念、国策だった戦争の際に多くの子どもを疎開させたように、国策である原発がこんなことになった以上、子どもたちを一刻も早く逃がさなければだめだという言葉には強くうなづきました。また「私のような僧侶の格好をしている私の言うことは、もっともらしく聞こえるでしょうが、騙されてはいけない、ご自分の頭とハートでどうか感じ考え行動して下さい」という言い方には中島氏の人となりを感じました。そして、「安全神話」のあとに来た「電気は足りない神話」をどう突き崩すかが大事だという話には、大きな拍手がわいていました。

また、福島県飯館村で酪農を営んでいた長谷川さんの話は大変重いものでした。事故直後から同じ酪農家や地元の人たちに声をかけながら、走り回っていること。孫は千葉県に避難させたこと、原発事故から今までの間あちこちの放射線量を測って歩いていること、その結果高線量が出るたびに「みんなには言わないでくれ!」と村長や村役場が言うこと、そして周りの人たちに危ないと言い続けていること、テレビや新聞にも危険性を伝えてきたが、いつもカットされたことなど、実際に福島で体験した方にしかわからない事柄が次々と紹介されました。事故後中学校の体育館に集められて大学教授から「安心、安全」だと言われたことについても怒りを持って語っておられました。



自分がおかした過去の過ちとどう対峙するのか。
そんな思いから始まった永平寺シンポジウムでしたが、
お二人の講演を聴いて思ったのは、人間は行動できるということでした。

それが大きな結果を生まなかったとしても、行動する事はできる。
それが宗教者であれ教師であれ酪農家であれ、今自分の出来ることをやる。
出来なかったこと、して来なかったことに対する深い反省を持って行動する。
それしかないと。





子どもたちを放射線被害から守る対策についての要望書




本日10月26日、戸田の教育を考える会として戸田市長宛に要望書を提出いたします。
午後4時半、市役所ロビーにて待ち合わせの後届ける提出いたします。

                  戸田の教育を考える会 代表 山田未来穂

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子どもたちを放射線被害から守る対策についての要望書

戸田市長 神保 国男 様

東日本大震災から半年以上が過ぎました。それに伴って起きたこの度の福島第一原子力発電所の事故は今なお終息の目処が立っておらず、時間の経過とともに私たち戸田市に暮らす市民と子どもたちを取り巻く環境への影響と危険性が報道を通じ次々と明らかとなり、目に見えない放射能への不安は日に日に増大しております。このような状況を踏まえ、近隣の市区町村におきましては、とりわけ子どもたちの生活環境における放射能への細やかな対策が為され始めており、私たち戸田市においても多くの子どもたちが安心して暮らせる町を実現していただきたく、以下の通り要望いたします。速やかな実現にむけて、ご尽力いただけますよう心よりお願い申しあげます。



1 【給食】保育園、小学校、中学校等、子どもたちが利用するあらゆる施設の給食に使われる全食材(水を含む)について、現在の月1回、野菜3品目、検出限界値20ベクレル/kgの検査を改め、検出限界値10ベクレル/kg検査の採用、全食材の産地の公表および放射線量の継続的な測定、汚染の可能性がある食材の使用の停止、速やかな測定結果の公表、および弁当持参が可能である旨の保護者宛文書の配布をおこなうこと

2 【放射線量】保育園、小学校、中学校等、子どもたちが利用するあらゆる施設(校外学習、課外授業等に使用する施設。地域を含む)への線量計の配布、当該敷地内及び周辺環境における放射線量の1日1回の測定及び測定結果の公表と保護者への通知、市内ホットスポットの有無の調査と汚染個所の除染を総合的に実施すること

3 【研修】保護者の不安に対応するために必要な放射能についての知識、危険性、情報等、子どもたちの健康と生命を守るために必要な事柄について継続的な研修を全教職員に対して義務づけること

4 【放射能対策室の設置】 市民の問い合わせにきめ細やかに対応し、放射能の測定、除染等について迅速に対応できるよう、放射能対策室等の専門部署を設置し、窓口の一本化を図ること
以上

先生の苦悩


子どもが生きにくい学校や社会のことを書くために作ったブログに
放射能のことを書くことになるとは、夢にも思いませんでした。

私はついこの間まで、臨時ではありながら公立学校で仕事をしていました。
管理職に放射能の危険について話しても、過剰反応だと取り合ってもらえず
自校式だった給食の栄養士さんが、唯一の相談相手でした。

栄養士さんは放射能汚染が疑われる食材のチェックをするとともに
自由にお弁当が持って来られるように、教頭会や校長会にも働きかけると言い、
私は保護者の方々に対して、給食への不安があるときは対応する旨伝えながら
草むしりなどの行事には子どもを参加させない、屋内授業に切り替える、
管理職に隠れてガイガーカウンターを持ち込み、せっせと放射線量を測る、
そんなささやかな対応をしてきましたが、大きな無力感は拭えませんでした。

今日は、福島県の小学校の先生の手紙をご紹介します。

この手紙が、全国の孤立奮闘する先生方の目に留まりますように。
そして、迷いつつも一歩が踏み出せない先生方の目に留まりますように。

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はじめまして。
私は、福島県の小学校教員です。
私は、これまで、平凡な教員生活を送ってきました。
作文や絵画のコンクールには一度も入選せず、こんな人間になって欲しいなと思い描きながら一生懸命に怒り、休み時間にはガキ大将のように子どもと遊ぶ…。

しかし、震災以降、私は悲しい思いを沢山してきました。

まだ、みんな県外に避難している子が多い中、放射能の知識伝達も、避難経路の確認も、通学路の安全確保も、水もないのに、市教委は学校を始めると言い出しました。

私は、泣きながら抵抗しました。すると、他の職員も重い口を開き、抵抗しました。校長先生は動いてくださいました。

しかし、始業式の日は変更にならず、その後、2日休みになっただけでした。

みんな、みんな、帰ってきました。
複雑な思いでしたが、震災以降、子どもたちの顔を見られなかった私は、単純に、嬉しかったです。

それ以降も、悲しい現実は終わりませんでした。

「鬱」の症状がひどくなったお母さん。母子家庭のため、必死にやっていたのに、大家さんが「すぐにでも出て行ってくれ。」と言い出しました。
家屋の手直しに責任が持てなかったのでしょうか、退去命令を出したのです。
毎日の水や食料、ガソリンを手に入れるのに大変だった頃です。どんなに大変だったことでしょう。
私は、引っ越しの手伝いをしました。
でも、移動できた人はまだいいほう。できなかった人は、そのうちガスも止められてしまいました…。

校舎の間借りにも慣れた4月のある日、体育の授業も始まり、閉め切った校舎内は蒸し風呂状態でした。
子どもたちの中にも、教員にも頭痛が見られるようになりました。
私は、二酸化炭素濃度が高いのではと思い、放射線量計を持ち出し、開けた窓のもとに置きました。
放射線量は、窓を開放しても変わりませんでした。
そこで、そのことを管理職に告げ、窓を開けていました。
放課後になり、保護者の姿が見られるようになると、
「窓を閉めなさい。本校(もともと校舎を使用している学校)の先生達が開けていないのに、示しがつきません。」
と言うのです。
私は、目の前の者の健康より、世間体の方が大切なのかと愕然としました。

言ったらきりがありません。

私は、「くっそー。お役所仕事ばかりやりやがって。絶対に負けない!」と思っていたにもかかわらず、5月中旬には「鬱病」と診断され、あっけなくノックダウン。
(私は「原爆ぶらぶら病」だと思っております。)
今は、県外で休んでおります。

半年が経過しても、私の耳に入るのは変わらない現実。

依然として、役所や学校は放射能に対する意識が向上せず、学校と保護者は、除線活動やお弁当、牛乳のことで衝突をする。
進まない内部被爆調査。
健康を害している人の実態は不明。

これでは、現場復帰をしても、以前と同じ状態になってしまいます。

悩んだまま、かわいい子どもたちを恐怖の未来に導いてしまうかもしれません。

それは嫌です。絶対に嫌です。
子どもたちが大きくなり、子どもを産み、孫ができるまで、家族みんなが元気であって欲しい。

どうか、皆さん、力を貸してください。
私は無力です。
大きな相手に果敢に立ち向かっても、相手はびくともしません。
相手は、管理職であり、役所であり、国であり、人々の意識です。
この大きな相手を動かすのは、地響きが起きるような大きなうねりです。
多くの力を繋ぎ、うねりを作っていただけませんか。
私達の未来に光が見えるように。



肥田舜太郎さんの講演会が決まりました

息子と娘がお世話になっている自由の森学園で
肥田舜太郎さんの後援会が出来ることになりました。

そのことをとりあえず知り合いに、今朝送信したメールです。
ここにも載せます。

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肥田舜太郎さんの講演が決まり、身の引き締まる朝です。

食べ物のこと、水のこと、空気のこと、そして土のこと。
少しずついろんなことに慣れたりあきらめたりしてしまいそうな毎日なので
こんなことをしながらでも、情報交換をしていけたらなあとおもいます。

そしてそのことが、自由の森の食堂の応援になっていったらいいなと思います。
子どもたちの健康と命がいちばん心配です。


そこで、こんな集まりをすることにしました。

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10 月22日(土曜日)自由の森学園 

午後1時半
「今気になること、気にしたいこと
   ーなぜ郡山から避難したのか」
      上前昌子さんのお話会

午後3時ごろから
「1.28 肥田舜太郎さんの話を自由の森で聴こう実行員委員会」

☆実行員会には、体にやさしく安全で、放射能汚染にも気を配った東池袋のごはん屋さん、
キッチン風」の佐々木さんが、安心おやつを持って来てくれる予定です。

上前さんのお話会は...
同じような問題意識や危機感を持っている方への呼びかけとして企画しました。
お近くに興味のありそうな方がいらっしゃいましたら、ぜひお誘いください。
そのあとに、「1.28 肥田舜太郎さんの話を自由の森で聴こう実行員委員会」をします。

場所は当日事務室前に張り紙をします。
急なのですが、お時間取れそうでしたらぜひおねがいいたします。

※肥田先生の後援会成功のために、
ぜひこのメールをツイッター、ブログ、口コミ、井戸端などでご紹介ください。
宜しくお願いします。


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「1.28 肥田舜太郎さんの話を自由の森で聴こう実行委員会」
略称「ひじきの会」連絡係 やまだみきほ

ある高校生の葛藤

原発事故が起きてから、この国の教育がいっそう透けてみえます。

今日は自宅のある埼玉県戸田市の「戸田の教育を考える会」でした。
戸田市の市民、保護者、教員、教員OBで作る会です。
3月から、給食の問題でいろいろと議論もし、ぶつかり合ってきました。

それでも、セシウム牛の広がりと報道で当初は食の危険性に無関心だったメンバーも、耳を貸してくれるようになったなあと。かなしいことですが、仕方のないこととして、次の動きを探っています。

とりあえずは、戸田市の教育委員会に対して、

1 給食食材の検査品目を増やす
2 給食食材の産地を明らかにする
3 給食食材の検査方法と測定結果について詳細に公表する
4 戸田市として市内の保護者向けに弁当持参が可能である旨の文書を出す

というような内容の請願書を提出しようということで決まりました。

なかには放射能を測る単位であるシーベルトとベクレルの違いがわからない教員がいたり、今出回っている食品は暫定基準値を下回っているから安全だと思っていたが、国際的な基準値との比較の表を見て驚いたというひとまでいろいろでした。

話は放射能のことに行きがちですが、実は原発というものを受け入れてきたこの国が、自分の頭で考えない国民を作ってきた、そのお先棒を担いできたのが教育なんだということを参加してる教員と分かち合いたいとおもっています。

そんななか、知り合いの高校生がこんなレポートを見せてくれましたのでご紹介です。
自由の森学園高校3年の生徒さんで、福島県から自主避難してきた家族と埼玉に住んでいます。
本名出してもいいよーと言ってくれたのですが、イニシャルで。
彼女の思いに、大人として出来ることを考えずにはいられません。


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福島原発事故と私。そして、日本のこれから…  自由の森学園H3 M.U


原発の事を話したり考えたりすると、ただ「原発事故」というだけでも、話題が大きすぎる。また、人によって原発事故・原発への感情や現状の認識の差が大きかったり、理解するのに専門的な知識が必要だったりして、話しをしづらいし考えにくいと思う。なので、私は、「福島原発事故」が私の生活に及ぼした影響から、これから原発はどうするべきかを考えていこうと思う。
今回の、福島第一原発でおこった事故で、私の中でなにかが変化した。
ずっともやもやした気持ちが頭の中にずっと存在し、先が見えない不安感、どこにもぶつけようがない怒りとやりきれなさがずっと付きまとっている。こんな気持ちになったのは、生まれて初めてだった。
私の家は、福島県郡山市(福島原発から50km程)にあった。数年前に建てたばかりの新しい家だった。
私の部屋からは、安達太良山が綺麗にみえ、庭には、母が営んでいた子どもたちに安全な木のおもちゃのおもちゃ屋もあり、親子連れがたくさん訪れていた。だけど、そのような環境は、3.11を境に手放すことになった。地震で家が崩れたわけでも、津波で流されたわけでもなく、今までと同じように存在しているのにも関わらず住めなくなった悔しさや怒りは言葉では表現できない。
郡山市は、マスコミにもあまり報道されることがないので、「そんなに危ないの?」と
いわれることが多い。だけれど、実際は、避難地域に指定されている場所と変わらないぐらい高い放射線量なのだ。私の家も、ガイガーカウンターで計った際に、驚くような数値が出た。
そんな、場所で子どもたちに安全なおもちゃを売ることはできるのだろうか。
自分たちの健康で安全な生活は営めるのだろうか。答えは、ひとつだった。
自分たちの家族の安全を守るためには、今までの家には住めない。そして、母のおもちゃ屋は、こどもが安全な環境でないのに安全なおもちゃは販売できない。「ここで暮らしては駄目だ。」ということをまわりの人々に伝えるためにも店を閉じ、避難することを決めたのである。家族が埼玉県に避難すると決まると同時に、私は、寮を退寮した。私にとって寮は、2年間自分の学校生活の大きな柱のような存在だったし、寮生活でたくさんの事を学び、「嫌い、面倒くさい。」と言いながらも自分の居場所だった大切な場所だった。自分の家と大切な場所が、私の中から奪い取られた気分だった。
また、奪われたのは物だけではないと思う。今回の原発事故で、人と人との間に大きな溝が沢山できた。安全だと信じ込み、高線量の福島県に住み続ける人、危険だと判断しその土地から離れた人、そして、まだ住んでいる人に、「そこは、安全じゃないよ。危ないよ。と教える人。今まで存在していた人間関係がまるで嘘だったかのように、消えてしまった。私は、「あなたの住んでいる場所は、高線量で危ないよ。」というメールの内容を、福島の友人にしてから一切連絡が途絶えてしまった。
これは、私だけの話では無く、私の家族や同じように避難してきた友人も言っていた。
原発は、人の心までも奪う。私自身、原発についての授業や話になると、むきになってしまって、噛み付くような見幕で相手に自分の思っている事を話してしまうことが、何度もあった。
勿論、はじめから噛み付いてやろうとか嫌な気分にさせてやるなんて思ってもいないのに、自分自身をどうしようもできない自分がいた。それに、原発事故収束の先が見えず真っ暗な未来になんだか、原発について考えるのは、疲れてしまって話したり考えたりしたくなくなってしまった。だけど、本当にそうなのかと考えたら、やはりきちんと考え学んでいかなければいけないことだし、自分の思いや考えを言葉にして、声をあげなければいけないと思った。なによりも、自分自身の大切なものをこれ以上失いたくないし、同じように大切なものを失う人が増えてほしくないからである。
だれが悪いのか、誰に責任があるのかと考えたら、もちろん電力会社や原発推進を国策として進めてきた政府、莫大な広告費で癒着してきたマスコミ・目先のお金で受け入れた町と町民があげられる。
だけど、なによりも「安全神話」を信じ込み、疑う人々を見てみぬふりし、原発推進を国策としてあげている政治や政治家を選び支持して来た日本の多くの有権者たちにも大きな責任があると思う。
反対ということだけ唱えていても推進している人を納得させたりすることはできないから、
推進している人たちの話に耳を傾けてみたが、推進している理由に、根拠がひとつも感じられなかった。
最近、本来なら、人や自然、命あるものを思いながら進めていくべき政治や世の中が、企業の儲けや一部の人たちだけの都合のいいように進められていると感じる。これは、とってもおかしなことだ。
安全を手に入れるにはお金がかかる。だけれど、原発のおかげで、お金をたくさん得ている人たちがいるのも事実だ。この社会の仕組みは、私たちの安全を「危険」に売っているのだ。
まだ、福島原発は収束していない。次から次へと放射性物質が検出される日々。これは、事故が起きたときこうなると、分かりきっていたはずだ。いつ倒壊するか分からない4号機。たくさんの使用済み核燃料。
そして、恐ろしいのは、福島原発は、プルサーマル発電。目を離してはいけないのだ。逸らしてはいけないのだ。これでも、まだ必要なのだろうか。電気は足りているのに、収束の光も見えないまま、ほかの原発を再稼動させるのだろうか。絶対に止めなければならない。この地球の未来を少し考えたら分かるはずだ。これは、福島だけの問題ではない。東京や埼玉だって水や食べ物は汚染されたものが、流通しているし、ホットスポットがたくさんある。のんきに考えていてはいけないと思う。
世界が「脱原発」への道を進んでいるのに、どうして日本は変わらないのだろうか。
変わらないのではなく、変えられないのかもしれない。
日本の原発教育を受けてきた人がほとんどだから、危機感や現実感が存在しないのではないかと思った。
ある意味、日本の教育は、成功なのだろう。
だけれど、変えるべき問題だから、もっと声をあげて訴えなければならないのだと思う。
私自身も、微力ながらも、自分の考えを大切にし「原発はいらない。」と声を上げていきたい。

今回は、あまり触れられなかったけれど、これからの事を考えると、新エネルギーのことや、今とまっている原発の再稼動問題などいろんなことがあげられる。それらをこれから考えていく必要があると思う。


子どもたちの命が危ない


ここに記事を書くのは久しぶりです。
産休育休代替として中学校の特別支援学級の担任になって1年が経ちました。
任期満了まであと5ヶ月というときに、大地震が起きました。
8人の生徒たちと体験したあの日の地震のことは頭に体に焼き付いて離れません。
そして原発事故。
東京電力、政府、行政、一体となった人災に言葉がありません。
子どもたちの命が危ないです。
ここで少しずつ書いていけたらと思います。
子どもたちの未来に、少しでも役に立つことをせずには死ねないです。



辞令が出ました 中学「特別支援学級」 


某市中学校の特別支援学級の担任の辞令が出ました。
任期は一年。

と言っても、今出ている辞令は10月の末まで。
産前産後の休暇を取っている教員の代替でその後仕事は決まっていません。
いきなり臨時教員の立場の不安定さを突き付けられました。

育児休暇が出れば、また辞令の打診が来るんでしょうが・・・
もしわたしが断ったらどうするのかな。
子どもたちは混乱するだろうとか、教育委員会は思わないのかな。
まさか断られるなんて思ってないんでしょうか。
疑問。

そのうえ、修学旅行費の集金。
えーーー、まだ着任したばかりなのに?
給料ももらってないのにーー。
なんで立て替えで、後払い(それも3カ月後)なんだろう。
教育の行政のおかしさに日々直面、
そんなこんな、はじまったばかりの中学の支援学級の現状を、
ここから発信していけたらと思っています。

きょうはめずらしく立てこんでいた会議もなく、定時であがってきました。
来週の修学旅行にむけて、いろいろ準備もできそうです。
なにより元気を充電していこうとおもいます。

これからよろしくお願いします。


「ゆっくり歩く子の相談室 きりん」始動!


たくさんの皆さんに応援していただいた特別教育支援員の仕事。
本当なら、今頃は新しい学校に勤務していたはずでしたが…していません。
内定を勝ち取ったのに、なぜこういう状況になっているのか、
みなさんに、そろそろご報告をしなければいけないなあと思っています。

実は支援員に復帰、今年度の内定を頂いていたところへ、近隣の市教委から、
特別支援学級の産休代替の担任の仕事をしないかとのお誘いを頂きました。
内定を頂いているところがあるので、と、いったんお断りをしたのですが、
ではあちらの市教委に掛けあいましょう、とまで言っていただき、
その場で市教委同士が電話相談。

ドラフトにかかってる選手?みたいな気分で、どうなるのかなあ、と思っていたら
あちらの承諾をいただきました、とのこと。
それで、みなさんに勝ち取っていただいた支援員の復帰の日を待たずに、
他市の担任の仕事に就くことになってしまいました。

子どものいるところで働きたいという思いは一緒だったので承諾しましたが、
応援して下さったみなさんの想いに背いてしまったという悔いが残りました。

まだ辞令が出ていないので、はっきりとしたお話はまた後日になりますが
先日書類が整ったので、ここでご報告させていただくことにしました。
みなさん、力になっていただいたにも関わらず、申し訳ありません。
すべて私の勝手な思いに基づくものでお詫びのしようがありません。
みなさんに頂いた力をこれからの仕事でお返ししていきたいと思います。


そしてもうひとつのご報告。
この春から、6月の仕事までの間に出来ること、そしてこれから続けられることを
ずっと考えていて、思い切って始めてみました。
今までお母さんお父さんたち、そして何よりたくさんの子どもたちからもらったものを
今がんばっているお子さんたちに伝える仕事をしたいと思いました。

名前は「ゆっくり歩く子の相談室 きりん」。
今はボランティアで相談業務をしています。
電話やメール、ツイッターなどを使ってハンディキャップのある子のことを応援できたら
どんなにいいかと思い、一気にはじめてしまいました。
うれしいことに、応援するよ、サポートするよ、という声を頂き感謝しています。

下のページに電話番号、メールアドレスなど書いていますので、
関心のある方は見て頂けたらうれしいです。
ご相談は、匿名、非通知、ともにだいじょうぶです。
電話に出られないときもありますが、いつでもかけて見てください。
お待ちしています。


「ゆっくり歩く子の相談室 きりん」のHP

http://www004.upp.so-net.ne.jp/komatsuburi/kirin.html

ブログ 「きりんの耳」

http://komatsuburi.blog.so-net.ne.jp/



偏見を助長する研究発表と教育行政について

http://sankei.jp.msn.com/life/education/100419/edc1004190041000-n1.htm

教育行政機関と教育研究機関の知的癒着。
怒りで今はこれ以上書けません。
ただでさえ偏見にさらされている子どもたちや親ごさんたちを思うと、
怒りで爆発しそうです。
また、あらためて書きます。



上がっている固有名詞は、どこも知っているところばかり。
水面下でこういうことをやっているのか、やっていたのかとまた怒り。

自閉症は、脳の障害から起こる病気であって、決して後天的なものではない。
したがって、親ごさんには何の問題もなく、そのことで言われもない非難にさらされ
苦しんでいる保護者は多い。それに追い討ちをかけるのが教育行政なのか。
今の教育行政をくっきりと浮かび上がらせる事件。

ひどい。
ひどすぎる。
結局書いちゃった。
さて、どう動こうか。
少し落ち着いて考えます。

内定通知


内定通知が届きました。
健康診断書も揃えました。
これもみな、応援してくださったみなさんのおかげです。
ほんとうにありがとうございました。
優先的に雇用する、という約束が、一年間のブランクがあったにせよ、
守られたことに、ほっとしています。
みなさんの応援と支えがあってこその結果だと思っています。
ありがとうございました。

ただ、もうひとつの問題については、まだまだこれから。
その問題と向き合うために、私はこの内定を受けるのがいいのかどうか。
そこは、じっくり自分自身に聴いてみようとおもっています。
みなさんにお世話になりながら、こんなことを言うのは勝手だと思います。
本当に申し訳ないと思います。
新学期までもう少し。まだ時間があるので、考えようと思います。
ひとの命を軽く扱う教育があってはならないということはゆずれません。
今言えるのは、そのことだけです。


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