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ある高校生の葛藤

原発事故が起きてから、この国の教育がいっそう透けてみえます。

今日は自宅のある埼玉県戸田市の「戸田の教育を考える会」でした。
戸田市の市民、保護者、教員、教員OBで作る会です。
3月から、給食の問題でいろいろと議論もし、ぶつかり合ってきました。

それでも、セシウム牛の広がりと報道で当初は食の危険性に無関心だったメンバーも、耳を貸してくれるようになったなあと。かなしいことですが、仕方のないこととして、次の動きを探っています。

とりあえずは、戸田市の教育委員会に対して、

1 給食食材の検査品目を増やす
2 給食食材の産地を明らかにする
3 給食食材の検査方法と測定結果について詳細に公表する
4 戸田市として市内の保護者向けに弁当持参が可能である旨の文書を出す

というような内容の請願書を提出しようということで決まりました。

なかには放射能を測る単位であるシーベルトとベクレルの違いがわからない教員がいたり、今出回っている食品は暫定基準値を下回っているから安全だと思っていたが、国際的な基準値との比較の表を見て驚いたというひとまでいろいろでした。

話は放射能のことに行きがちですが、実は原発というものを受け入れてきたこの国が、自分の頭で考えない国民を作ってきた、そのお先棒を担いできたのが教育なんだということを参加してる教員と分かち合いたいとおもっています。

そんななか、知り合いの高校生がこんなレポートを見せてくれましたのでご紹介です。
自由の森学園高校3年の生徒さんで、福島県から自主避難してきた家族と埼玉に住んでいます。
本名出してもいいよーと言ってくれたのですが、イニシャルで。
彼女の思いに、大人として出来ることを考えずにはいられません。


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福島原発事故と私。そして、日本のこれから…  自由の森学園H3 M.U


原発の事を話したり考えたりすると、ただ「原発事故」というだけでも、話題が大きすぎる。また、人によって原発事故・原発への感情や現状の認識の差が大きかったり、理解するのに専門的な知識が必要だったりして、話しをしづらいし考えにくいと思う。なので、私は、「福島原発事故」が私の生活に及ぼした影響から、これから原発はどうするべきかを考えていこうと思う。
今回の、福島第一原発でおこった事故で、私の中でなにかが変化した。
ずっともやもやした気持ちが頭の中にずっと存在し、先が見えない不安感、どこにもぶつけようがない怒りとやりきれなさがずっと付きまとっている。こんな気持ちになったのは、生まれて初めてだった。
私の家は、福島県郡山市(福島原発から50km程)にあった。数年前に建てたばかりの新しい家だった。
私の部屋からは、安達太良山が綺麗にみえ、庭には、母が営んでいた子どもたちに安全な木のおもちゃのおもちゃ屋もあり、親子連れがたくさん訪れていた。だけど、そのような環境は、3.11を境に手放すことになった。地震で家が崩れたわけでも、津波で流されたわけでもなく、今までと同じように存在しているのにも関わらず住めなくなった悔しさや怒りは言葉では表現できない。
郡山市は、マスコミにもあまり報道されることがないので、「そんなに危ないの?」と
いわれることが多い。だけれど、実際は、避難地域に指定されている場所と変わらないぐらい高い放射線量なのだ。私の家も、ガイガーカウンターで計った際に、驚くような数値が出た。
そんな、場所で子どもたちに安全なおもちゃを売ることはできるのだろうか。
自分たちの健康で安全な生活は営めるのだろうか。答えは、ひとつだった。
自分たちの家族の安全を守るためには、今までの家には住めない。そして、母のおもちゃ屋は、こどもが安全な環境でないのに安全なおもちゃは販売できない。「ここで暮らしては駄目だ。」ということをまわりの人々に伝えるためにも店を閉じ、避難することを決めたのである。家族が埼玉県に避難すると決まると同時に、私は、寮を退寮した。私にとって寮は、2年間自分の学校生活の大きな柱のような存在だったし、寮生活でたくさんの事を学び、「嫌い、面倒くさい。」と言いながらも自分の居場所だった大切な場所だった。自分の家と大切な場所が、私の中から奪い取られた気分だった。
また、奪われたのは物だけではないと思う。今回の原発事故で、人と人との間に大きな溝が沢山できた。安全だと信じ込み、高線量の福島県に住み続ける人、危険だと判断しその土地から離れた人、そして、まだ住んでいる人に、「そこは、安全じゃないよ。危ないよ。と教える人。今まで存在していた人間関係がまるで嘘だったかのように、消えてしまった。私は、「あなたの住んでいる場所は、高線量で危ないよ。」というメールの内容を、福島の友人にしてから一切連絡が途絶えてしまった。
これは、私だけの話では無く、私の家族や同じように避難してきた友人も言っていた。
原発は、人の心までも奪う。私自身、原発についての授業や話になると、むきになってしまって、噛み付くような見幕で相手に自分の思っている事を話してしまうことが、何度もあった。
勿論、はじめから噛み付いてやろうとか嫌な気分にさせてやるなんて思ってもいないのに、自分自身をどうしようもできない自分がいた。それに、原発事故収束の先が見えず真っ暗な未来になんだか、原発について考えるのは、疲れてしまって話したり考えたりしたくなくなってしまった。だけど、本当にそうなのかと考えたら、やはりきちんと考え学んでいかなければいけないことだし、自分の思いや考えを言葉にして、声をあげなければいけないと思った。なによりも、自分自身の大切なものをこれ以上失いたくないし、同じように大切なものを失う人が増えてほしくないからである。
だれが悪いのか、誰に責任があるのかと考えたら、もちろん電力会社や原発推進を国策として進めてきた政府、莫大な広告費で癒着してきたマスコミ・目先のお金で受け入れた町と町民があげられる。
だけど、なによりも「安全神話」を信じ込み、疑う人々を見てみぬふりし、原発推進を国策としてあげている政治や政治家を選び支持して来た日本の多くの有権者たちにも大きな責任があると思う。
反対ということだけ唱えていても推進している人を納得させたりすることはできないから、
推進している人たちの話に耳を傾けてみたが、推進している理由に、根拠がひとつも感じられなかった。
最近、本来なら、人や自然、命あるものを思いながら進めていくべき政治や世の中が、企業の儲けや一部の人たちだけの都合のいいように進められていると感じる。これは、とってもおかしなことだ。
安全を手に入れるにはお金がかかる。だけれど、原発のおかげで、お金をたくさん得ている人たちがいるのも事実だ。この社会の仕組みは、私たちの安全を「危険」に売っているのだ。
まだ、福島原発は収束していない。次から次へと放射性物質が検出される日々。これは、事故が起きたときこうなると、分かりきっていたはずだ。いつ倒壊するか分からない4号機。たくさんの使用済み核燃料。
そして、恐ろしいのは、福島原発は、プルサーマル発電。目を離してはいけないのだ。逸らしてはいけないのだ。これでも、まだ必要なのだろうか。電気は足りているのに、収束の光も見えないまま、ほかの原発を再稼動させるのだろうか。絶対に止めなければならない。この地球の未来を少し考えたら分かるはずだ。これは、福島だけの問題ではない。東京や埼玉だって水や食べ物は汚染されたものが、流通しているし、ホットスポットがたくさんある。のんきに考えていてはいけないと思う。
世界が「脱原発」への道を進んでいるのに、どうして日本は変わらないのだろうか。
変わらないのではなく、変えられないのかもしれない。
日本の原発教育を受けてきた人がほとんどだから、危機感や現実感が存在しないのではないかと思った。
ある意味、日本の教育は、成功なのだろう。
だけれど、変えるべき問題だから、もっと声をあげて訴えなければならないのだと思う。
私自身も、微力ながらも、自分の考えを大切にし「原発はいらない。」と声を上げていきたい。

今回は、あまり触れられなかったけれど、これからの事を考えると、新エネルギーのことや、今とまっている原発の再稼動問題などいろんなことがあげられる。それらをこれから考えていく必要があると思う。


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